8.影の大王の支配

 影の大王による支配は、『竜の地』統一前の歴史をふくめても、この地にとってははじめての外国勢力による占領だ。影の大王によるくびきは、約17年間にわたった。影の大王によるデルトラ支配は、不当に行われ、私たち国民がこの国の行く末を決める権利をおびやかした。

影の大王はなぜデルトラを侵略したのか?

 影の王国とデルトラは、ひとつの島の土地を南北に分け合っている。

 この島の南部にあたるデルトラ王国は、鉄、銀、銅などあらゆる鉱物資源が豊富で、船の出入りがしやすい湾にめぐまれている。デルトラでは、三方を囲む海を介して、古代から盛んに交易が行われてきた。とりわけ、最南端のデルは、広く穏やかな港を持っており、『九つの海』一帯の貿易拠点になってきた。

 影の大王にとってデルトラの侵略は、自身を何度もしりぞけた土地への妄執でもある。しかしやがて、『九つの海』に浮かぶさらに多くの島々を征服するため、デルトラを足がかりにする構想を持つようになっていた。

 ここでは、影の大王によるデルトラ侵攻の翌日から、占領が16年半に入る時期までにデルトラで起こった出来事をたどる。

影の大王の支配下で起こったこと

デルの弾圧

 影の大王は、手始めにデル城を改築し、2階にある大広間の外に木造の処刑台を設けた。

 影の憲兵に抵抗しようとした者や、反逆を企てた者、命令に反した者を厳しく取りしまり、見せしめとして処刑するための邪悪な場所だった。処刑台は、城外に張り出すような形をしており、舞台の上で起こることは城の外からも見ることができた。

 処刑があるときは必ず、年寄りから赤んぼうまで、デルの全市民がデル城の丘に呼び寄せられた。刑の一部始終は、市民の目と鼻の先で繰り広げられた。影の大王自身や、影の憲兵団への強い恐怖心を市民に植えつけることが狙いだった。そして、それは大いに成功したといえよう。大事なもののために何もできない無力感は、人の誇りをむしばみ、じわじわと気力をそいでゆく。

 私も、処刑を見に連れていかれたことが何度もある。やせこけた男女が舞台に引きずり出され、まっ赤に熱された焼きごてをほおにあてられ……激しく抵抗する者もいたが、黙ってなされるがままの者もいたと記憶している。正義のため影の憲兵団に立ち向かった、勇気ある市民たちの末路である。その全員が、つい先日まで何にもおびやかされず、自由に街を歩いていた人々だとは、幼いころの私には分からなかった。侵略が起こる前も、デル市民はいつだって貧しかったが、このようにおびえ暮らしてはいなかった。

 影の憲兵団による占領直後、デルじゅうの事業所や商店は閉鎖を命じられ、市中の混乱が落ち着いてしばらくたってから再開が許された。しかし、街を逃げ出した市民は、なかなか戻って来ず、デルの人口は大きく減少したままだった。また影の憲兵の厳しい監視があっては、店を開けたところで、まともに仕事ができる店は少なかった。デル市内外からの仕入れや生産も途絶え、商売が立ち行かなくなり、店をたたむ業者があとをたたず、デルの都は一転してスラム街の。

裏切りの代償

 トーラ族が魔力を失ったことで、トーラの魔法による保護も失われた。

 デルトラ王国が生まれたとき、トーラ族はアディンの命で、デルトラじゅうの重要な建物に守りの魔法をかけた。この守りの魔法のおかげで、デルトラ各地の公共施設は、影の大王の邪悪な攻撃にさらされることなく存続してきた。それは、デルトラ国王への国民からの信頼がかげり、権威が失われはじめても変わらなかった。言わば、トーラ族の魔法は、デルトラを守る最後のとりでの一部を担っていたのだった。

 アメジストの領域の北部に位置し、西の海の難所として知られる骨岬に立つ灯台はそのひとつだ。この灯台は、アディンの命で建立されてからの数百年間、デルトラ西部における交易拠点のひとつだった。

 へんぴで殺風景な骨岬の突端からは、トーラへとつながる道がくねくねと伸びている。骨岬の灯台守は、トーラで着任し、また離任するのが建国以来のならわしであり、それ以外のやり方は用意されていなかった。骨岬の灯台守は、トーラ族が自身と子孫にかけたものと同じような、極めて厳しい誓いの魔法のもとにあった。アメジストの領域を自治するトーラ族は、灯台守に誓いと護りの魔法をかけ、または解く役目を負っており、トーラ族の魔法による後ろだて。

 デルトラ侵攻の日にトーラ族が消えると、骨岬灯台守だったレッド・ハンも消息を断ち、これにしたがって骨岬近海を照らす警告灯も消えた。

 灯りの消えた灯台は、影の王国に侵略され、暗闇に閉ざされたデルトラを象徴するかのようだった。海を行き交う船は、当たり前のことながら危険をおそれ、デルトラへの上陸と接近をさけた。こうして、他国からの支援のあてもなく、デルトラは完全に孤立することになった。

影の憲兵団

 影の憲兵団は10名ずつ、バク、カーン、クロップなどの数隊に分かれて活動する。影の憲兵たちはみな、そっくりの見た目をしており、人間離れした視覚・聴覚・嗅覚と、強靭な肉体を持つ。

 影の憲兵団は、影の大王に与えられた任務を忠実にこなす。というより、主人の命令に反対するような考えは、もともと持ち合わせていない。影の大王の支配を経験したデルの市民にとってはおなじみだが、当たるとその名のとおり、火ぶくれ弾。

 街道ぞいの村や集落を荒らし、住民たち。

リスメア

 首都のデルが占領され、田舎の大小さまざまな街が攻撃されたというのに、中西部の大都市リスメアがにぎわいを欠かなかったことには、首をかしげる者もいる。おそらく影の大王は、あえてリスメアに厳しく手を加えなかったのだろう。

 まずリスメアふくむ西部の一帯は、先に述べたように、オルトン王の治世にはすでに、オルや盗賊によって荒らされはじめていた。影の大王のデルトラ侵攻で、いきなり日常が壊されたデルとは違い、じわじわと影の手におさめられていた。

 さらにリスメアの街は、はるか内陸にあり、市民が海から逃げ出す心配は少ない。リスメアの民も、首都に住むデルの民ほど、国王や王家に興味を持っていない。デル城やトーラの誓いの大岩のような、王家とのつながりを象徴づけるものが街中にあるわけでもない。リスメアの民が我を忘れるほどの関心事といったら、今も昔も賭け事だけだ。リスメアの路地にひしめく、おびただしい数のギャンブル小屋や屋台といったら、見ているだけで息がつまる。

 一方で、リスメアはデルと同様、街壁で囲まれているが、リスメアへと続く道はいくつもあるから、すべてを完全にふさぐのは手がかかる。大都市ならむしろ、西部の集落や村々から住民を集めることもできる。人々が抱く、貧しさへの苦しみや支配への反感から、気をそらすためにリスメアを利用することもできる。

 これらの事情から、影の大王は、リスメアを強く制圧しないほうが都合がいいと考えたのだろう。住民たちが抵抗や独立のために立ち上がることなども、デルほど起こりえないと踏んだことだろう。

 悪名高きリスメア競技大会が初めて開催されたのは、影の大王の支配がはじまってから5年目のことだ。何も知らない西の民は、村一番の力じまんたちをこぞって差しだした。リスメア競技大会の賞金は目が飛び出るほどの高額で、

 回を重ねるごとに、リスメアいちの競技大会として、その人気は加熱した。競技大会の評判が届いた村々では、とぼしい食料を村の運動選手につぎこみ、大会の優勝候補として育成した。腕っぷしに自信のある者や一攫千金を夢見る人びと、そしてデルトラを代表するほどの剛の者が、血で血を洗う激戦は評判を呼び、見物人がこぞってリスメアにつめかけた。大会期間中は市が開かれ、影の大王の圧制下では極めて珍しいほどの盛況を見せていた。

魔女テーガンのいばら

 影の大王の支配がはじまってからというもの、デルトラ北東部をしいたげる魔女テーガンの魔力はますます増していた。

 深い森のはざまに都市が点在するこの地域では、ララディン、リングール、ブルームといった比較的大きな街にも、影の憲兵団による激しい襲撃は行われなかった。テーガンの子どもたちと、いばら。

 しかし影の大王の支配が長引けば、へんぴな北東の街であっても、いずれ標的となるのは時間の問題であった。影の大王の支配開始から11年目ごろ、デルで活動していたレジスタンスの評判を聞きつけたララド族は、ララディンを襲撃から守るために支援を取り付けようとした。

 影の大王の弾圧下では、地下運動の情報は、非常にゆっくりと広まった。ララド族がデルへの伝令を送り出したころには、時すでに遅く、デルのレジスタンスは、すでに影の憲兵団によって潰されていたと考えられている。伝令の青年・マナスも、危険な旅の最中にララディン近郊で捕らえられ、デルへたどり着くことはなかった。ララド族は、待てど暮らせどデルからの助けも情報も得ることができず、自力で身を守る手立てを探さなければならなくなった。

自由を求めて レジスタンス運動の広がり

 影の大王の支配が続くなか、市民の間では、デルトラ王国の再建や影の大王への抵抗を目指すレジスタンス組織が結成されるようになった。特に大きな運動を繰り広げた組織としては、影の大王の支配がはじまった直後から、遅くとも10~11年目ごろまで活動していた、デルを拠点としたレジスタンスと、デルトラ侵攻後7~8年目ごろからデルトラの解放後まで活動をつづけた、ジョーカー率いる『レジスタンス』の2つがある。

デルのレジスタンス

 首都のデルでは、影の大王の侵攻からまもなく、レジスタンス(抵抗軍)がデル城近くで活動をはじめた。拠点はデル城のふもとにあった陶器工場で、工員と影の憲兵団への抗戦を望む市民たちが中心となり、影の大王・影の憲兵団に抵抗する者たちへの支援を行っていた。ララド族が助けを求めたのは、このレジスタンスである。

 ジョセフも陶器工場の地下にかくまわれ、レジスタンスのメンバーから食料や日用品の差し入れを受けて、『デルトラ年鑑』への記録をつづけた。

 しかし、陶器工場のレジスタンス組織は、影の大王の支配がはじまってから10〜11年目までに、影の憲兵団に攻撃されて壊滅した。デルでのレジスタンス活動は下火になり、レジスタンス参加者の生き残りは、影の王国に連行され、奴隷として過酷な仕打ちを受けることになる。

ジョーカーの『レジスタンス』

 デルのレジスタンスの壊滅と前後し、支配がはじまってから7~8年目ごろ、ジョーカーと名乗る男が、デルトラ全土を対象とした『レジスタンス』を立ち上げた。影の大王支配下のレジスタンスといえば、多くの人びとが思い浮かべるのはこちらの組織だろう。

 ジョーカーは、影の憲兵団から攻撃されて住みかや家族を失った者、もしくは攻撃を受ける危険がある者たちを保護するとともに、デルトラ各地で協力者と軍資金をつのって活動を進めた。

 『レジスタンス』は、ジョーカーの強いリーダーシップのもとで発展した。『レジスタンス』の大きな特徴は、武力による影の大王の追放を目指していた点である。『レジスタンス』には、軍に加わって戦いたい者が集っただけでなく、影の憲兵団に対抗する意思をもって物資や情報の提供を行う者たちのネットワークが築かれた。

 多くのレジスタンスで、影の大王に抵抗する意志を持つ者の印として、『鳥・自由』を意味するララド文字のM(ここでは便宜上アルファベットのMを使用している)が象徴的に用いられた。あるときは同志を見分けるために、あるときは自分の意志を示すために、デルトラの各地でこの文字がひそかに交わされた。

 影の憲兵の命令に歯向かう市民は、年々減っていき、デル城の処刑台もやがて年に1、2度しか稼働しなくなった。田舎の兵士や農民たちのほとんどは、影の憲兵と戦って死んだか、影の王国に連れ去られて消息を絶った。しかし、攻撃を逃れたわずかな者たちは、武器を握りしめながら、隠れ家で息をひそめつづけていた。

 影の大王は、この16年半の支配で、デルトラを平定できたとみなした。そして、夏も終わりに近づいたある日、次なる目標である南の島々の侵略に向け、デルの港から軍艦を出港させた。

出典

  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 1 沈黙の森」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 2 嘆きの湖」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 6 魔物の洞窟」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 7 いましめの谷」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 8 帰還」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエストⅡ 1 秘密の海」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 1 竜の巣」、岩崎書店、2004年
  • エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 2 影の門」、岩崎書店、2005年
  • エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 3 死の島」、岩崎書店、2005年