エミリー・ロッダ「スター・オブ・デルトラ1 <影の大王>が待つ海へ」あらすじ

「スター・オブ・デルトラ1 <影の大王>が待つ海へ」あらすじ

 影の大王が去り、安全で希望あふれる世が訪れたデルトラ王国。しかし、首都デルで生まれ育った15歳の少女ブリッタは、下町の小さな食料品店で息をひそめるように暮らしていた。ブリッタのひそかな夢は、街で一番愛された貿易商だった父のように、船に乗って未知の海をかけめぐること。だが、8年前にある事情で父が消息を絶ってから、一家は財産や名誉をすべて失い、人目をさけて過去を隠す生活を強いられていた。

 母や姉と営むさえない食料品店で、つましい商いをして生計をたてる日々のなか、街をはなれ貿易商になる夢をあきらめかけていたブリッタ。おとなしい姉と、父が起こした出来事でトラウマを抱える母は、彼女が貿易商に憧れていると知りながら、内心ではよく思っていない。そんなある日、父が失踪する前に作った貿易船<スター・オブ・デルトラ>号の現在の持ち主で、かつて父が所属していたロザリン船団が、見習い船員の選抜試験をおこなうとの知らせが飛びこんできた。またとないチャンスを前に、いてもたってもいられなくなったブリッタは、幼いころからの夢を叶えるため試験に挑戦する。

※2024年現在、シリーズ1巻のみ刊行 2巻以降の発売は未定です

「デルトラ・クエスト」と「スター・オブ・デルトラ」の関係

 一国の命運が描かれる「デルトラ・クエスト」を大きな物語とすれば、「スター・オブ・デルトラ」は、主人公が個人的な夢を追いかける小さな物語です。

 「デルトラ・クエスト」の主人公リーフは、意図せず冒険に巻き込まれ、やがて特別な運命を背負います。リーフが成長し旅に出るのは、何年も前から決められていたことでした。さらに彼なくして王国の再建はなしえず、彼がすべき一番大切なこともまた王国の再建です。

 他方、「スター・オブ・デルトラ」のブリッタは、因縁めいた生い立ちを背負って、才能と魅力を秘めてはいるものの、平凡な下町暮らしを送る少女です。退屈で息苦しい生活から抜け出し、人生を変える唯一のチャンスとして、冒険の旅に出ることを決めます。

多くの人が歩めなかった自由な人生

 「デルトラ・クエスト」のリーフは、与えられた使命にしたがい、王国を救う大事業を成しとげましたが、それは彼らの犠牲と表裏一体でもありました。祖先も父親もその友人たちも、敵の手にかかって殺されたり、危険な生活を強いられたりと、波乱の生涯をとげます。リーフ自身は、個人的な希望を叶えるどころか、職業や住む場所を自由に選べず、負わされた責任を投げだすこともできません。

 リーフのこうした状況はフィクションですが、周りに強いられるものや、自力で変えられないものゆえに、何かを諦めたり、なすがままに甘んじたりせざるをえないことは、誰の身にも起こりえます。「デルトラ・クエスト」でも、影の大王の支配下という時代背景からして、リーフだけでなくデルトラじゅうの人が、大なり小なり苦労や我慢を強いられ、思うような人生を歩めなかったことでしょう。このように、生まれた環境によって人生が左右されるのは、けしてめずらしいことではないので、折り合いをつけられたほうがいいときもあります。

ブリッタの自立と孤独

 ところが、平和なデルトラで育ったブリッタは、親や世間が押しつける人生をはねのけ、内から湧き出る欲望にしたがい、貿易商になる夢を叶えるため、広い海に飛び出します。

 生まれ持った運命を忠実に歩んだリーフとは違い、ブリッタは、彼女を必要とする母や姉、家業を捨て、思いのまま憧れの貿易商へと突き進む道を選びます。しかし、そんな生き方が気楽というわけでもなさそうです。両親や出会う先々の人びとから応援され、仲間と一緒に旅したリーフと比べると、ブリッタの旅はつねに孤独で心もとないものです。

 マント、剣、地図など、旅に必要なものを大人に用意されていたリーフとも違い、目標に挑む支援をしてもらえるどころか、夢を持つことすら否定され、必要なものを大人から取り上げられてきたブリッタ。諦めきれない夢は家族とのあつれきや葛藤を生み、旅の仲間もライバルか試験官ばかりで、信用できる人や頼れる人はほとんどいません。

運命との向き合い方

 つまり、リーフとブリッタの生き方のどちらが良い悪い、損か得かではなく、誰もが自分なりに目の前の人生を生きていくしかなく、どちらもそれなりの苦難がともないます。リーフのように与えられた運命を背負って生きるのも、ブリッタのように自分の意思で運命を切りひらくのも、それぞれの重要な選択です。

 「デルトラ・クエスト」のスピンオフの位置づけでもある「スター・オブ・デルトラ」ですが、リーフたちの物語のつづきを期待して読むと、少し裏切られた感覚になるかもしれません。あくまで、違う時代の違う主人公を通じて描かれる、「デルトラ・クエスト」のデルトラではありえなかった話が、ブリッタの冒険だからです。

 しかし、わずかな理解者しかいないブリッタが自分の夢を目指せるのは、先人の戦いと犠牲のうえ、デルトラにも安定した時代がやってきたから。「デルトラ・クエスト」と「スター・オブ・デルトラ」で描かれるデルトラ王国の違いには、リーフ・バルダ・ジャスミンたちの活躍を見ることができます。

ブリッタにまとわりつく3つの影

 さて、この1巻の日本語版サブタイトルは、『<影の大王>が待つ海へ』と改題されています。しかし、原題は「Master of Shadows」、直訳すると『影の主』といったところです。

 この『Master of Shadow』が誰を指すかは、素直に読めばティアー王のことでしょう。デルトラ王国でShadowといえば、日本語版のサブタイトルにもある『影の大王』も思い浮かびますが、1巻に影の大王は名前しか登場せず(2巻以降でも登場しないようです)、ブリッタが海に出るのも終盤です。2巻以降の邦訳もすんなり出ていれば、それほど気にならなかった点だと思いますが、1巻しかない現状では、どちらかというと原題を意識したほうが、お話が入ってきやすいかなと思います。

 ブリッタとその家族の後ろ暗い素性、その秘密を抱えて影のように生きてきた彼女の半生、そして遠くから影を差し向けるティアー王という3つの影が、いまわしい過去を持つスター・オブ・デルトラ号を浮き彫りにしているのです。

「デルトラ・クエスト」と「スター・オブ・デルトラ」のつながり

 「スター・オブ・デルトラ」シリーズは、ただデルトラが舞台というだけではなく、「デルトラ・クエスト」の読者にはなつかしいワードがあちこちにちりばめられています。

 たとえば、ジュエルの出身地であるブルーム村はそのひとつです。「デルトラ・クエストⅡ」シリーズから登場するリンダルの出身地で、「デルトラ・クエストⅢ」シリーズでリーフたちが訪問した場所でもあります。ほかにも、デルトラの船乗りが飼うポリパンや、デルの街の思わぬ変化などが描かれています。

 ところが残念なことに、2つのシリーズ間で訳語が一致していないものもいくつかありました。ジュエルがブリッタと会ったときに『ペインテッド平原にいるコックリネ』の話をしていますが、これは「デルトラ王国探検記」に登場する『五色平原のウナズキ鳥』のことです。

 また、スカイの故郷リスメアのそばにあるという『ブロード川』は、「デルトラ・クエスト」では『はばひろ川』という名前です。『はばひろ川』はシリーズ本編で何度か出てくるので、こちらは覚えがある読者もいそうです。

 ちなみに、ジュエルとブリッタの初対面シーンでは、ブリッタの心の声で『ブルーム村は南東にあって……』と書かれていますが、「デルトラ・クエストⅢ」では、ブルーム村は北東にある街として登場します。この部分は英語原書でも同じらしく、作者の思い違いか、ブリッタが間違えて覚えているということになると思われます。

「勇者ライと3つの扉」と「スター・オブ・デルトラ」の関係

 「スター・オブ・デルトラ」シリーズは、「デルトラ・クエスト」「スター・オブ・デルトラ」と同じ世界観が舞台で、日本では2014年から2015年にかけて刊行された「勇者ライと3つの扉」シリーズとも、ストーリーに関係性がうかがえます。

 「勇者ライ」シリーズの主人公であるライたちの生まれ故郷 ウェルドでは、街をつかさどる総督の位は、代々男性が受け継いできました。ですが、今の総督にはひとり娘しかいないため、先はどうなるのだろうか、という話題が物語の導入にありました。

 ウェルドの人びとは、長いあいだ、刺激はとぼしいものの秩序ある暮らしを送ってきました。しかし、街が直面する問題にまつわる、総督の無策ぶりには多くの市民が愛想をつかし、変革を望む人も増えていました。もっとも、「総督が男性だけなのはおかしい」という理由で、ウェルドの人びとが変化を選び取ろうとしたわけではありませんでしたが、男性総督の伝統が破られるかもしれない点に、変化のきざしを見て取る人もいました。

 また、街の周囲をぐるりと壁に囲まれているウェルドでは、壁の保守点検をする男性作業員はいなくてはならない存在です。多くの成人男性は壁での工事に従事しており、壁の作業員は街を守る花形の職業でもありました。

 そんな男社会のウェルドとは対照的に、「スター・オブ・デルトラ」シリーズの『ロザリン船団』では、女性しか団長になることができません。変わり者の女性貿易商ロザリンが、船団長を女性に限る決まりを作ったため、女性候補者からふさわしい人が代々試験で選ばれてきました。ブリッタも、デルじゅうの貿易商の娘たちと、団長候補の地位を争います。

 ロザリン船団には、ブリッタの父 ラーセットをはじめ、男性の乗組員も所属してきました。しかし、どれだけ長く船団で働いても、男性は団長にはなれません。ラーセットが船団から独立した背景には、不条理なこの規則が影響していたのではないか、とブリッタも推測します。ウェルド総督の職や壁の作業員のように、女性が差別されたり、男性が重用されたりする環境も多いのですが、逆もないわけではありません。事実上女性しか採用されなかったり、男性が活躍しにくかったりする職場もあるわけです。

 世間で言うところのジェンダー論は、これらのシリーズの本題ではないでしょう。しかし少なくとも、同じ世界観で描かれるふたつの作品にはりめぐらされた糸のひとつであり、「勇者ライと3つの扉」「スター・オブ・デルトラ」の両方を通じて、違った角度からものごとをとらえてみることができます。

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