6.影の時代へ│デルトラ王国近代

 迫りくる影の時代。8代エルスぺス女王の時代から、12代エンドン王までの約100年間。

デルトラにしのびよる影

 たしかに分かっているのは、影の王国と接する北の地から、少しずつ影の手が広がったことである。まるで、地図のはしから灰色の絵の具で塗りつぶしていくように、じわりじわりとあたりが影におおいつくされていた。気づけば、デルトラはまるで絶海の孤島となったかのように、助けを呼ぶことも、手を取り合って抵抗することもできなくなっていたのだ。

空白の100年

 ドランやウィシックたちの世が過ぎ去り、影の大王がデルトラに攻め入るまでの約100年間は、神話や伝説よりも謎めいている。なぜなら、建国以来300年ほどつづけられてきた、『デルトラ年鑑』の記録が中断されたからだ。これはまさしく、国の正確な動きが、ほとんどどこにも書き残されていない、ということだ。

 デルトラ侵攻以前のすべての時代について言えることだが、わが国では『年鑑』以外のさまざまな書物も、混乱のうちに失われたり、何者かの手が意図的に加えられたりしていて、失われた事実や、正確ではない記録がふくまれていることがある。

 とりわけ、白い霧でつつまれた城に国王が引きこもってからの150年ほどについては、当時を知る世代もとうにこの世の者ではない。デルの長老たちのもとをまわったり、わずかな昔話を聞き集めたりもしたが、せいぜいまた聞きか、また聞きのまた聞きといった調子だ。また、市民の日記や手紙も探し集めているが、当時読み書きができたのはごく一部の者に限られていたうえ、デルトラの侵攻と支配による動乱で、家財が失われているため、このような民間の記録をたよることも難しい。というわけでここでは、今の時点で分かっている断片的なことがらを並べてみるしかない。

8.エルスぺス女王の時代

ガレス王とエルスペス女王の関係

 現在から150年ほど前より在位していたエルスぺス女王は、記録に残るうちで2人目の女王であり、8人目のデルトラ国王である。彼女はオルトン王の曾祖母であるから、すなわちリーフ王から5代前の先祖にあたる。

 しかし、エルスペス女王が7代・ガレス国王の子だったかどうかは、今のところはっきりとはわからない。子かもしれないが、孫やひ孫かもしれない。だから、エルスペスよりあとの王・女王が、デルトラで何人目の国王かは、あくまで推測である。ここから先は、利便のため国王に通し番号をふっている。

初代アディンが興した事業の中止

 先にのべた『デルトラ年鑑』の更新停止は、エルスぺス女王の命によるものだ。デル城の作家や画家たちを、城内の部屋について記録する作業に従事させるという名目だったが、誰のさしがねだったかはもはや語るまでもなかろう。一応書いておくと、当時の主席顧問官の強いすすめとされる。『デルトラ年鑑』の仕事をうばわれた作家や画家たちは、王族と同様に、城からの外出も禁止された。これにて、外界と切り離され、閉ざされた宮廷が完成したのである。

 エルスぺス女王の主席顧問官は、デル城の衛兵によるガブリ草の駆除作業も中止させた。ガブリ草の駆除作業は『デルトラ年鑑』の更新と同じく、アディンが国王付きの衛兵隊を送って駆除をはじめてからずっと、代々国王の支援で行われてきた。

 費用が巨額にのぼるからというのが表向きの理由だったが、駆除作業の中止により、ガブリ草が分布するダイアモンドの領土の農民は大きな打撃を受けた。ガブリ草が増えると、危険なだけではなく、農地がまったく使いものにならなくなってしまう。もちろんダイアモンドの領土の農民たちも、城に不満を訴えたものと考えられるが、エルスペス女王やデルの政治家たちの耳に届くことはなかっただろう。

山脈からやってきたモンスターたち

 『年鑑』の更新が中断される直前に、デルトラ国境の北の山脈と接する『恐怖の山』で、初めてブラールが目撃されている。ブラールは、影の王国から連れ出されて捨てられ、野生化して山に住みついた。

 『恐怖の山』の小川には、緑のコケが生える。このコケは、そのまま身体に貼りつけるとよく効く傷薬となるので、小人族は古来からこれを重宝してきたが、同じコケがたっぷり水にひたると、やがて紫色に変色して毒性を持つ。紫色になったコケに触れると、やけどのような水ぶくれが肌にでき、2、3日はひどく痛む。

 影の憲兵は、ブラールを捨てにくるだけでなく、デルトラのほかの土地でしてきたように、小人族を捕まえては影の王国へ連れ去ったと考えられる。そこで小人族ははじめ、山でとれる紫色のコケを武器に用い、ブラールや影の憲兵に対抗しようとしたのではないだろうか。しかし、たったの数日間苦しめられるだけのコケの毒では、影の憲兵やブラールに太刀打ちできるはずもない。

 弱り果てた小人族の前に、『恐怖の山』の奥深くから、ヒキガエルのような巨大な怪物・ゲリックがあらわれた。ゲリックのつばと、ゲリックが全身からたらす体液は、紫色のコケとは比べものにならないほどの猛毒だ。小さな身体の傷から入っただけで、まもなく死にいたる。

 まるでヒキガエルのよう、と言われるゲリックの正体は、『デルトラ王国探検記』に見出すことができる。影の王国とデルトラをへだてる『北の山脈』には、全身から猛毒をたらすジクジクヒキガエルというカエルが生息している。ドランが『探検記』で記しているように、アディンの愛馬ウィングも、エメラルドの領土をゆく途中、ジクジクヒキガエルの毒に触れて弱り、『デルトラのベルト』の大ルビーでいやされたという。

 そんな毒ガエルがいるのであれば、『北の山脈』ぞいはどんな危険地帯であろうか、と思われるかもしれないが、さいわいにしてジクジクヒキガエルの生息数は少ない。しかしなんと、ジクジクヒキガエルは、数百年も寿命があり、生きているあいだ大きくなりつづける。けれども、ゲリックのようにほら穴を埋め尽くすほど巨大に成長するのは、なんらかの闇の力の影響をうかがわせる。

 ゲリックは、影の大王や影の憲兵から身を守るための武器として、全身から出る毒汁を採取させようと小人族に持ちかけた。そのかわり小人族は、えさのハエを育て、ゲリックに与える。ゲリックの毒という強力な武器を手に入れた小人族。

魔女テーガン

 魔女テーガンも、エルスぺス女王の時代に姿をあらわした。ルビーの領土のある村で、賢い魔女・タムの娘テーガンが、あるとき北の山脈にこもり、邪悪で強大な魔力を身につけた。そのときテーガンは、誰が父親かも分からない13人の子を持っていた。子といっても、みにくい怪物たちだ。その名も、ホット、トット、ジニ、ジッド、フィーに、フライに、ザンに、ゾッド、そして嫌われもののイカボッドである。ルビーの領土は、魔力を持つテーガンと、その恐ろしい子どもたちに事実上支配されるようになった。

 テーガンは、姿こそ美しいが、その内面は邪悪さのかたまりだった。美しいもの、自由なものをねたむ。ルビーの領土東部にあったドールの街を、泥だらけの湿地に変える魔法をかけた。

 ドールの住民たちは、じめじめした泥土をはい回る虫やへびに変えられ、体中にとげを生やした巨大な怪物・ソルディーンが生まれ、いつしかドールは『嘆きの湖』と呼ばれるようになった。沼地の真ん中には、じとじとと水がしたたり、泣いている女性のように見える大きな岩―嘆きの岩―があった。

 ドールの街を作ったララド族は、声を上げてテーガンに抗議した。そこでテーガンは、ララド族に呪いをかけ、声を出せないようにした。テーガンがララド族にかけた呪いは、親から子にも受け継がれ、そこから100年にわたり、ララディンで言葉が話されることはなかった。

第9代国王の時代

 9代国王は、8代・エルスぺス女王の長男で、10代・リリア女王の父だ。

 『デルトラ年鑑』の記録が中止されたため、9代国王の治世に関する正式な記録はない。9代国王の時代を知る人も、今やほとんど生きていない。分かっているのは、彼が存在したことと、9人目の国王が男性であることだけである。

10.リリア女王の時代

 9代国王の長女、リリア女王の治世についても、やはりほとんど記録が残されていない。ただし、リリア女王の治世に生まれた世代は、まだわずかに存命している。

 ガブリ草は、ふたたび農地を埋めつくしはじめ、耕作放棄地が生まれた。ジャリス族の農民たちは、自分たちを見捨てた国王をうらみ、不満をつのらせた。

 北部のテーガンの支配地は、いばらととげで荒廃し、北ゆく旅人はテーガンとその子どもたちにとらえられた。

 それでもまだ各地方には旅行者もおり、わずかながら地方の住民同士の行き来はつづけられていたようだ。トーラ族長のゼアンが幼いころ、トーラ近郊を訪れたジャリス族の旅人と出会い、トル川の岸辺で『テナ・バードソングの話』を聞かされたという。

 デルの鍛冶屋も(ブランドン王から鍛冶場を引き継いだ一族で、ジャスミン王妃の先祖にあたる)、デルの窮状を代々の国王にうったえており、リリア女王にもたよりを出している。しかし、リリア女王本人がそのたよりを目にしたことはなかっただろう。

11.オルトン王の時代

 リリア女王のひとり息子で、エンドン王の父、リーフ王の祖父であるオルトンは、40年ほど在位した[[ジョセフが「デルトラ・クエスト モンスターブック」を著したのは、はしがきによるとオルトン王朝35年目。ジョセフが城にいたときジャードはまだ子どもだったようで、「モンスターブック」執筆時は、オルトン王が崩御し、エンドン王子が即位する数年前と考えられる。]]。その在位年数の長さから、オルトン王も10代で即位したと思われるため、リリア女王もまだ幼い息子を残して亡くなったと思われる。

オルトン王暗殺未遂事件?

 オルトン王朝30年前後、オルトン王の身辺では何らかの危機が起こった。オルトン王の身も危険にさらされたと考えられるが、それがなんであったかはっきりとはわからない。

 この出来事で、国王の身の回りの仕事をしていた家臣一名が殉職した。この家臣には、エンドン王子と同じ年ごろの男児・ジャードがいたため、親を亡くしたその子が王子の遊び相手に迎えられた。

デルトラ年鑑の焼却未遂

 エルスぺス女王の代の『デルトラ年鑑』更新中止から、50年以上がたったオルトン王朝30年ごろのことだ。いよいよ『デルトラ年鑑』を葬り去るよう、主席顧問官のプランディンが指示を出した。この命を受けたのが、当時オルトン王付デル城図書室員を務めていた、ジョセフである。ジョセフによれば、オルトン王もエンドン王子も、書庫にしまいこまれた『年鑑』を開くことは一度もなかったという。

 50年とは、なにかが用済みの遺物とされるには、じゅうぶんな長さの時間だ。影の大王とプランディンも、うたがうことなくそう考えたのだろう。

 しかし『年鑑』の価値を深く理解していたジョセフは、プランディンの命令に強い不信感をいだいた。ただし、愛や情に価値を見出さない影の大王にとっては、ジョセフの『年鑑』への深い思い入れや、書物を守るため彼のなかに生まれた勇気は、思いもよらぬ誤算だったかもしれない。『年鑑』はデルトラにとっての財宝であり、今は闇にほうむられようとしても、いつかかならず必要とされる日が来ると、ジョセフは信じていた。そして、それは正しかった。

 ジョセフは、遺書を残し、『年鑑』が入っていた書庫に火をつけて姿をくらました。プランディンらは、まんまとジョセフの偽装に引っかかった。いやむしろ、年鑑がどこか国王の目に入らない場所に消え去ればよいのであって、一介の図書室員がどうなろうと、さしたる関心はなかったはずだ。あわれなジョセフは、年鑑を焼き捨てる心の痛みにたえきれず死に、そして年鑑も永遠に失われたものと、城では長いあいだ信じられていた。

王都デルにしのびよる影

 ジョセフが無事に年鑑を守り抜いたからこそ言えることだが、プランディンの命令は、デルトラにとって不幸中の幸いでもあった。死蔵されていた『デルトラ年鑑』の更新が、ジョセフによって再開されたからだ。さらに、ジョセフというすぐれた書き手が、侵略前夜のデルをありのままに目にした。

 『年鑑』をかかえてデル城下に逃げのびたジョセフは、思い描いていたものとはまったく違うデルの街に、強い衝撃を受けた。ジョセフもそれまでは、ほかのデル城の住民と同じく、まぼろしを映し出す白い霧のベールの向こう側で、外の世界を知らずに生きてきた。

 ところがどうだろう。毎日窓から見おろしていた、花咲き乱れる美しい都は、実のところ枯れ木と雑草だらけで、どちらかというとごみために近かった。市民は飢えて残飯を漁り、生と死が隣り合わせの日々を送っている。生きるためのどろぼう、けんか、こじきがあふれている。

 着の身着のまま城を飛び出したジョセフは、街で食いぶちを得るあてもなく、デルの貧民街に身をよせた。

 オルトン王の時代にも、ごくわずかながら、都にいる国王をたより、北の『恐怖の山』やララディンから、遠路はるばるデルまでたずねて来る地方の民もあった。デルでは、城にどれほど手紙を出そうと右から左で、紙とインクのむだづかいでしかないとすでに知られていたが、田舎にはそんな情報は伝わっていなかった。

 地方からの旅人たちは、何か月もついやした命がけの旅が無意味だと気づき、絶望しながらあてどなくデルの市中をさまよった。ジョセフは、デルトラじゅうからやってきたそんな旅人たちと出会っては、話に耳をかたむけ、この国で本当はなにが起こっているのかを知ろうとした。そのうちにジョセフは、『年鑑』の最後のほうに、小さく書かれていただけのゲリックやテーガンが、北に住む人びとを苦しめていることを聞く。

 私たちにとってジョセフの記録が過去への命綱であるように、紙の上に書かれた文字でしかなかった『年鑑』の記録も、ジョセフにとって少しずつ違う意味を持ちはじめた。

小人族によるキン虐殺

 ゲリックの猛毒という強力な武器を手に入れたはずの小人族だったが、ふたをあけてみれば、くさいハエ農場で、昼夜を問わず働かされていた。宝物庫もゲリックに占拠され、愛する宝石や金貨は、みにくい体と毒汁に埋もれていた。少しでも反応の態度を見せれば、猛毒のつばが飛んでくる。その暮らしは奴隷そのものだった。

 小人族はうさ晴らしのため、山の同居相手であるキンに、ゲリックの毒汁をつけた矢を射かけて遊ぶようになった。キン皮は手触りが良く暖かいので、上着を作るために、小人族がキンを狩ることは古来からあった。しかしこれは、うっぷんを晴らすこと以外に目的のない、虐殺であった。仲間が一匹、また一匹と苦しんで死にゆくなかで、キンは『恐怖の山』を去った。

西の惨状

 ジョセフは、デルの路地裏でひとりのスリの少年と出会う。西の川合い村出身のラネッシュである。トーラのそばにある川合い村のことは聞いたことがなくても、ラネッシュの名には聞き覚えのあるデル市民も多いだろうが、そのラネッシュのことで間違いない。ジョセフは、ラネッシュから情報を得て、西部の状況を理解した。

 デルも荒廃しきっていたこのころ、リスメアはたびたび影の憲兵や盗賊の襲撃を受けていた。リスメアでもっとも大きな宿『ゲームの宿』も盗賊に襲われ、亭主の家族は皆殺しにされている。それらの盗賊のほとんどが、影の大王や影の憲兵の影響下にあったとみられる。

 影の大王がなんのために西の盗賊を手中におさめていたかといえば、やはり奴隷を得るためだろう。リスメアだけでなく、デルトラじゅうの民が影の王国へと連れ去られていた。

オル

 西をおびやかしたのは、盗賊だけではなかった。影の大王が開発した、変幻自在の怪物オルが、人びとを苦しめた。オルは、生き物にもモノにも姿を変えることができ、変身にだまされて近寄ってきた者を締め上げて殺す。

 影の大王は、オルに改良をくわえ、より性能の良いオルを生み出した。それぞれAオル、Bオル、Cオルと呼ばれた。Cオルは常に二人一組で行動し、長くは変身を保つことができない。Bオルは、3日に一度、数秒だけ変身が解ける。Aオルは、変身をいつまでも保つことができるばかりか、体温を作り出すことができ、飲み食いするふりもできる。すなわち、Aオルはほとんどその生き物やモノと区別がつかない。オル

「デルトラ・クエスト モンスターブック」の完成

 ジョセフは、デルの街で見聞きしたことを『デルトラ年鑑』に記録しはじめた。さらには、デルトラ年鑑をあらためて調べ始め、ラネッシュや街の人びとから聞いた話を集めた。

 ラネッシュは、ジョセフの手助けをするかわりに、読み書きを教えてくれるよう請うた。ラネッシュは、リスメアですりの技を身につけた。それは、孤児たちが生きのびる唯一の方法だった。しかし、ジョセフと出会ったことで、ラネッシュの人生も大きく動きだしていった。

オルトン国王夫妻の崩御

 オルトン王朝40年目ごろの春に、オルトン王夫妻が急死した。

 年を召しつつあったとはいえ、健康だったオルトン王と王が、原因不明の熱にうなされ立てつづけに亡くなるのは、やや不自然だ。病死したルカン王などと同じく、主席顧問官プランディンの毒で弱らされたのだろう。

エンドン王の時代

 オルトン王の急逝にともない、長男のエンドンは、10代半ばで即位することとなった。エンドン新王は、長く在位した父王と比べるとはるかに幼くあどけなかったが、立てつづけに両親を失った悲しみを乗りこえ、想像していたより早く訪れた即位式へと気丈に臨んだ。はじめこそ不安もささやかれたが、生真面目で責任感の強かったエンドン王は、デル城の『おきて』や伝統を忠実に守り、次第に若き国王らしい風格を身につけていった。

 エンドン王は、即位式の直後、父王が横たわるチャペルで、幼少期の遊び相手・ジャードに襲われる不幸に見舞われる。暗殺の疑いをかけられたジャードは、城から逃げ出して、ゆくえをくらました。

 即位から数年経った頃、二十代にさしかかったエンドン王は、デル城の貴族の娘であるシャーンをめとって結婚した。

 二人の結婚は、アディンにならってトーラ族の女性を妻に迎える、王家代々のおきてにしたがったものだった。城育ちの若いシャーンは美しく聡明で、トーラ伝統の織物の技を持ちながら、宮廷のしきたりにも通じ、このうえなく王妃にふさわしい女性だった。おきてどおり、結婚式の日にはじめて顔を合わせたエンドン王とシャーン王妃は、すぐに意気投合する。お世継ぎさえ無事に生まれれば、エンドン王の世もますます安泰と思われた。

デル市民

 一方デルの市民は、城で代がわりがあろうと、国王が結婚しようと、暮らしが上向くことは一切なかった。

 7年で終わったエンドン王の治世について、良くも悪くもオルトン王の時代ととりたてた違いはないのだが、このころ国民が国王に望んでいたのは『デルトラのベルト』を守り抜くこと、もはやそれだけだった。

 国の真ん中はネズミの街で、南にはガブリ草がはびこり、北東は魔女テーガンの荒れ野となり、西はオルと盗賊に破壊され、北西の小人族はゲリックにしいたげられていた。西や北のいなかは、影の憲兵がわがもの顔で荒らし回っている。

 国民にも、目や耳がある。ジョセフやラネッシュが各地の旅人と出会ったように、ほぼそとではあったが、地方のひどいうわさもデルに持ちこまれていた。このままでは、すべての国民が飢えや暴力で死ぬか、影の大王から攻め込まれるかのどちらかなのは、通りを歩くやせた人びとを見ても明らかだった。そしてもし、影の大王が攻め入ってくるようなことがあれば、ひとたまりもないことも。デルトラのすみからすみまで、あきらめがしみわたっていた。

エンドン王の即位6年目

 エンドン王が即位して6年目、シャーン王妃は、ついにエンドン王の後継者となる子を身ごもった。

 喜びにわくエンドン国王夫妻とデル城をよそに、影の大王軍(影の憲兵団)は、来たるべき日のため着々と攻め進んでいた。

 灰色の軍隊が山から降りてきて、大地を踏みにじり、家々を見るかげもなく破壊した。平原の農民と騎士たちは影の王国へと連れ去られたが、南のジャリス族は武器をとって立ち上がった。

 屈強なジャリス騎士の戦いぶりは勇ましかったが、憲兵たちの前になすすべはなかった。そのほとんどが戦いに倒れ、生き残った者も、捕虜として影の王国へ連行された。戦わず生き残るより、戦って死ぬほうがましというジャリス族の言葉があるが、この戦いで命を落とさず、連れ去られずに済んだのは、多めに見積もってもせいぜい数人というきわめて悲惨な結果であった。

 影の手で塗り進められた地図も、ほんの小さなマスを残すばかり。影の大王軍は、いよいよ首都デルへと歩を進める。

出典

  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 1 沈黙の森」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 2 嘆きの湖」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 7 いましめの谷」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ・クエスト モンスターブック」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエストⅡ 1 秘密の海」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009年