5.デルトラ王国中世

 5代・ブランドン王と、その息子、6代・ルカン王の時代については、デルトラ王国を代表する探検家ドランによって、豊富な資料が残されている。『竜好き』のドランは、竜以上に竜を知っていただけでなく、竜を研究するための―彼自身は、研究というよりも、魂から惹かれていたのだと思うが―数え切れないほどの旅を通して、デルトラじゅうの動物と植物と人の生態や風俗にも精通した。

 ドランは、デル城の宮廷事情から、『北の山脈』のふもとで暮らす村人の日常生活まで、ありとあらゆる分野にわたってくわしい記録をおこなった。ドランが残した少々荒けずりな言葉たちのおかげで、影の大王の支配を経た今でも、私たちは彼の目に映っていたデルトラを鮮明に思い描くことができる。

 『デルトラのベルト』の魔力に守られ、平和で安定していた中世のデルトラにおいては、美しいデル城の建築に代表されるように、さまざまな文化が花開いた。

 ドランの友人でもあった国王付きの画家・ウィシックは、当代でもっとも優れた芸術家であり、発明家でもあった。ウィシックの描く絵は、当時から現在にいたるまでつねに、国宝といってもよいほどの評価を受けてきた。それらは、『デルトラ王国探検記』のさし絵で見ることができる。

 ウィシックは、画家としてデル城の建築工事にたずさわるとともに、偉大なアディン王の行いと『デルトラのベルト』にまつわる言い伝えを『デルトラの書』にまとめ、国王とベルトのあり方を世に問い直そうとした。

 才気にあふれる彼らがデルトラの将来を案じ、意見を同じくしたことは、われわれ後世に生きるデルトラの民にとっては幸運であった。けれども、ドランやウィシックたちの奔走もむなしく、大半の国民やデル城のお偉方が、彼らの考えに耳をかたむけることはなかった。そのうえ、ドラン、ウィシック、そして彼らがした仕事は、悪名高きドラーム主席顧問官の手によって葬りられる。

 あとから歴史をなぞってみれば、ウィシックとドランが危ぶんでいたとおり、アディンの時代から数百年たち、国王が城に入ったこの時代に、国のありようや先行きが正しいのか見直されるべきであった。『デルトラのベルト』と国王の関係、国王と国民との関係に生まれたみぞは、歴史のはざまでうやむやにされながら広がりゆき、やがて致命的な傷をもたらすこととなった。この時期を頂点に、デルトラの国民から国王への信頼と、人びとの暮らしぶりは衰退への道をたどりはじめる。

5代 ブランドン王の時代

 アディーナの長男・ブランドンが国王となってから、デル城の建設がはじまった。アディーナまでのアディンの子孫は、先祖代々の住みかである、デルの鍛冶場で暮らしてきた。しかし、困りごとや報告をたずさえて地方からはるばるやってくる国民や、外国からの客人、国を切り回す政治家たちの相手をしながら執務する場所としては、大都市デルの街なかにある鍛冶場は手ぜまだったろうことはいなめない。

 ブランドン王は、優れた美的センスを持ち合わせていたといわれている。ブランドンは、トル川ぞいの住民の要望に応えてか、トル川とはばひろ川が交差するあたりに、『王の橋』を作らせている。

 ブランドン王の命によってララド族が作った『王の橋』は、かなり頑丈で立派なもので、現在でもしっかりとトル川にかかっている。ララド族はアディンの時代より、国王の命で、国内の重要な建築を手がけてきた。『王の橋』の標識はうすれているものの、これほど長くかたちを保っているのは、ララド族の卓越した技術ゆえだろう。

 デル城の話に戻ろう。われわれデルの民はそびえ立つこの城を見慣れているが、あらためて考えてみると、なんと豪奢な建物だろうか。同じものをまた作ろうとしても、同じだけの人やモノをふたたび動かせるとはとても思えない。

 だから、当時の主席顧問官が、城の計画を提案したとき、ブランドンの好奇心や見栄をくすぐることはわけもなかっただろう。みずからの力を示したい気持ちは、誰の心にも眠っているが、美を愛するならなおのこと、誰より素晴らしいものを作り残したいはずだ。

 鍛冶場からもほど近い丘の上に、ララド族の名工たちが集められて、デル城は着工した。ブランドン王は、デル城の一階部分が完成すると、すぐに鍛冶場を離れて入城したが、完成を見ることなく亡くなった。

 一方、ブランドン王の時代の終わりには、ヒラでペストがはじめて発生する。大発生したネズミたちが、ヒラ独特の飾りつきの長い衣やかつらに絡みつき、病原菌を媒介した。ヒラの市民は、国王にも訴えでたとみられるが真剣に聞き入れられず、ブランドン王がなんら手を打つことはなかった。

6.ルカン王の時代

デル城の完成

 ブランドンの息子、ルカンが即位すると、建築開始から40年もの時を経て、デル城はようやく完成した。地上4階、地下1階建ての主要部に、250もの寝室をそなえた、デルトラ随一の建造物である。

 デル城には、王国が誇る技術、芸術がつめこまれた。多くの人は、デル市街を見おろす丘に堂々とそびえる城は、国民が団結して勝ちとった勝利の象徴だとみなした。国の内外にたいし、デルトラ国王の高まりゆく権威を示すものでもあった。

 デル城の公室の装飾は、ウィシックが担った。大広間や宴会場、旧図書室の天井には、ウィシックの手で、デルトラの歴史をあらわす壮大な絵画が描かれた。

 特に、デル城4階に作られた、旧図書室の天井画は傑作とされている。『デルトラの戦い』にて、アディンの軍とオパールの竜が影の大王軍と戦う場面が、迫力あふれる筆づかいで鮮やかに描かれている。

 デル城に大きな図書室が作られると、各地の部族は、建国前から積み重ねられてきた歴史の記録や資料を城へ預けたため、デルトラ中の歴史書・公文書はここで管理されるようになった。図書室ができてからは、『デルトラ年鑑』への書きこみも、図書室員の立ち会いのもとおこなわれるようになり、ページの破棄は禁じられ、修正にも厳しい規則がもうけられた。

 そして、デル市街で暮らしていた国王のそば仕えや政治家、貴族たちは、出来たばかりの城に移り住んだ。国王と城の住民たちは、華やかな宴会や儀式を日々もよおした。

 やがてルカン王は、城外へ出向くことをひかえるようになり、面会を求める外国からの訪問者や、地方の要人を豪華な城へと招き入れて接見するのが常となった。  

 もっともルカン王は、父王ほど城の内装には興味を持っていなかった。ドラーム主席顧問官の主導で、デル城地下のチャペルに改装が加えられ、真ん中に大理石の台がすえつけられたのは、ルカン王の預かり知らぬうちのことである。

 この祭壇は、このチャペルには本来必要なかった。それどころか、繊細に計算された美しいデザインを破壊するものだった。デル城の建築を指揮した棟梁のルーファスは、城の完成後に異変に気づき、撤去するよう王に申し入れている。しかし、これも聞き入れられることはなかった。この台は、約300年間にわたり、城での葬儀のとき、王族や城での貢献者の遺体を横たえ、ひと晩見守る儀式のために用いられることとなった。

『デルトラのベルト』の変化

 デル城の完成後、『デルトラのベルト』は、城で一番高い塔の最上階に収められた。

 王国防衛の要である『ベルト』は、うやうやしくガラスの箱に仕舞いこまれ、三つの錠前と剣を携えた衛兵たちによって厳重に守られる。『ベルト』の守りが兵士たちによって固められることになり、国王の身につけられているよりも、国民の多くは安堵した。

 しかし、『ベルト』を国王から引き離すことに不満を持つ者も少なからずいた。デル城の装飾を行ったウィシックは、そのひとりであった。ウィシックやドランのようなごく一部の人間は、『デルトラのベルト』は、絶え間なく国王の身に触れているほうが安心だと考えた。

『デルトラの書』執筆

 ウィシックは、デルトラの古い言い伝えを絵にする仕事のために歴史を調査をしたとき、『デルトラのベルト』が持つ力と歴史、製作者であるアディンの考えや言い伝えを本にしたいと考えるようになった。

 そこでウィシックは、古来の七部族がそれぞれアディンに宝石を差し出したこと、七つの宝石が持つ意味と力、そしてブランドンまでの国王が『ベルト』をどのようにあつかってきたのかを、小さな空色の布表紙の本にまとめた。

 ウィシックはこの本を『デルトラの書』と名づけ、手ずから発明した印刷機で大量に刷った。けれどもウィシックの行いは、ドラーム主席顧問官の目にとまり、不興を買うことになる。ドラームは、いち国民にすぎないドラームが、国王と『デルトラのベルト』について書くのは不敬であるとして、国王やそのほかの大勢の目に入らないように、見つかる限り燃やしつくした。

 ドラームが『デルトラの書』を燃やした真の理由については、今さら言うまでもないことだが、この仕打ちに強い怒りを覚えたウィシックは、失望のうちにデル城を去った。

竜の魂を持つ男、ドラン

 『デルトラのベルト』の七つの宝石と並び、デルトラの七種の竜は、この土地の偉大な守護神である。竜の歴史は人よりもはるかに古く、竜は大地と運命をともにしてきた。

 デルトラの民も古来から、人や家畜をさらうと伝えられる竜をおそれながらも、空を飛び交う竜とともに生きてきた。デルトラの戦いでは、オパールの竜が飛んできて、アディンの軍に加勢した。

 ドランは、デルトラ各地に足を運んで七種の竜をつぶさに観察し、知られざる竜の習性をいくつも明らかにした。

 たとえば、竜が、人間やその住みかを襲うというのは大きな誤解だ。竜はたいてい、グラナスやテレオクティなど、人里離れた自然の中の獲物を好んでいるし、人間にとっては害のある生物の増殖を防ぐのに一役買っている。これらも、ドランが解き明かした事実の一部である。七種の竜には、見た目だけでなく、気質や好みにも種ごとの細かな違いがある。

 だが、度を越して竜に肩入れするドランは、デルの人びとからすると、城に出入りしているのに礼儀作法を重んじず、竜のことばかり気にかける奇妙な男だとみなされていた。ドランはその生涯をかけて竜の保護に努めたが、デルの市中では「竜のことになると頭がこわれる」などとうわさされ、あまり理解を得ることがなかった。人間よりも自然と一体化するドランのような姿勢は、デルのような都市化した社会では、受け入れがたい感性か、無用なものに見えがちだ。

 けれども竜たちはそれぞれ、ドランを深く信頼し、『竜の友』として暖かく迎えた。

ほろぼされゆくデルトラの竜

 ドランは、国じゅうをめぐり、竜を訪ね歩いた。しかしウィシックがデル城を辞したころ(ルカン王朝中期ごろ)には、竜の生息数は激しく減り、ドランがひらけた農村や平原でまる一日過ごしても、一匹も姿をあらわさないような日も増えていた。

 というのもこのころ、影の大王軍が『竜の地』を侵略していた時代以来はじめて、影の大王の密命を負った七羽のアクババがデルトラへと飛来するようになっていた。

 デルトラの竜は、どの種も単独行動を好み、群れでいることが少ない。同種であろうとなかろうと、ほかの竜から干渉されることを嫌う。影の王国のアクババは、竜が持つこの性質を逆手に取った。アクババが集団でよってたかって、一匹でいる竜を襲撃すると、竜にもなすすべがない。竜は、アクババからの被害に対抗できず、デルトラじゅうで一匹、また一匹と狩られていった。

 デルトラの住民たちも、上空で竜がアクババに食われているのに、気づかなかったわけではなかった。トーラ族は竜の行く末を心配し、デル城をたずねてルカン王に伝えた。ドランも、ルカン王に何度も手紙を送り、アクババを追いはらうよう訴えた。

 だが、デルの市民など、自然を離れて都市で暮らす者たちにとって、今も昔も竜は別世界の生物だ。自然と共に生きる農村の民にしても、恐ろしい竜が減ってせいせいするし、より平和になっていると感じる者すらいた。

 アクババが『竜の地』をおびやかしていた侵略の時代からは、200年ほど経っていた。アクババはとても邪悪かつ危険な生き物だが、アクババが影の大王にしたがってアディンの軍を襲った記憶は、民衆のなかからも薄れていた。多くの民にとって、アクババと竜の戦いは野蛮な生き物どうしの戦いであり、強き者が弱い者をえじきとする自然の営みであり、アクババが目的をもって差し向けられているなどとは思いもよらなかったのである。

 だから、ドランたちが竜の苦境を王に訴えていることを知る者がいたとしても、なぜそんなに竜を気にかけているのか、考えようとすることはなかったのだろう。ドランは竜にとりつかれ、意味のないことにかかずらっている、と言われるのがおちだったし、トーラ族の訴えでルカン王が動くこともなかった。

『王国探検記』執筆の旅

 ドランの竜への愛は、デルで受け入れられることはなかったものの、竜を追い求めてデルトラ中を旅したことによって、ドランは国中の秘境や伝説上の生きものを知りつくしていた。ドランは、『デルトラ年鑑』にも、しばしば探検の報告を残した。

 ルカン王はそれを知ってか、その治世の終わりごろ、ドランへとじきじきに手紙を送り、国中を調査して本にするよう命じた。

 ルカン王はその理由を、いずれ治める国のことを息子のガレス王子に伝えるため、そしてデルトラに関心を持つ外国の民のよりどころとするため、とした。ルカン王がドランへ信頼を寄せていたことがうかがえ、また彼なりに、国王の座を約束された息子を案じていたことも分かる。ドランにとっても、名誉かつ国王から費用をもらって好きな旅行ができる仕事を、断る理由はなかった。これはルカン王だけの発案ではなく、ドランがデルの都をうろついて、竜の保護を盛んに訴えて回ることをうとましく思っていたドラームの差し金でもあった。

 首都デルを発ったドランは、デルトラの七つの領土を東から順に回った。そこで竜を愛するドランに突きつけられた現実は、とても厳しいものだった。竜たちはすっかりアクババの手にかかって、七種のうち一匹ずつしか残っていなかった。

 ドラームの妨害を恐れたドランは、デル近郊の湿地(ベタクサ村あるいはウィシック湿地)で静かに余生を送っていたウィシックのもとへ本を持ち込み、清書を頼んだ。

ドラン、最後の旅

 『王国探検記』を書き終えたドランは、生き残りの七匹の竜を絶滅から救うための旅に出た。デルトラの竜には、不思議な習性がいくつもあるが、必要に迫られれば飲まず食わずで数百年間眠り続けられるのもそのひとつだ。ドランは、ふたたび王国を一周して、長い眠りにつくよう竜を一匹ずつ説得しているうちに、国境付近で『四人の歌姫』の配備計画を耳にする。

 その後デルに戻ったドランは、半狂乱で『デルトラ年鑑』に『四人の歌姫』にかんする記録を残したのを最後に、『四人の歌姫』を探す旅に出て、二度とデルに戻ることはなかった。ドランが年鑑に書き残した『四人の歌姫』の地図は、『デルトラ年鑑』執筆の厳しいルール(ページ破棄の禁止)を無視できる何者かの手で破り取られた。

ガレス王の時代

 ルカン王が病に倒れたころ、息子のガレス王子はわずか15歳だった。ドランが消息を絶ったのち、ガレスは、ルカンの死によって十代半ばで即位したとみられる。

 ガレス王は、デル城で生涯の大半を過ごした、最初の国王と考えられる。ルカン王は晩年、城外に外出することがなくなっていたし、息子のガレスも安全のため、城内で育てられていたからだ。

 主席顧問官が、父がわりとまではいわずとも、若くして孤独と重責を負ったガレス王に強く影響を与えたのは想像にかたくない。影の大王はようやく、どんな邪魔も入らず、意のままに動かせるあやつり人形を手に入れたのかもしれない。

『おきて』の成立

 デルトラ侵攻以前まで、歴代のデルトラ国王に課せられた『おきて』や慣習には、国王がデル城に移転してから作られているものが多い。たとえば、エンドン王時代に伝えられていた『おきて』によれば、国王は城の壁を越えることを固く禁じられており、市民と口をきくことすら許されなかった。

 こうしたものの多くは、ガレス王の時代ごろから少しずつ増えていったとみることができる。

ヒラの壊滅

 『デルトラ年鑑』によると、ブランドン王期にペストの発生が確認されてから約50年後、ヒラの街が捨てられた。くわしい記録はないものの、おそらくガレス王の治世の出来事だろう。

 ヒラ市民の生き残りは、ネズミへの恐怖に打ち震えながら街を出ると、ネズミとりたちに導かれながらはばひろ川を越えた。そして川の向こうに、ネズミのいない豊かな土地を見つけ、新たな街を築いた。

 『竜の地』時代からつづく平原族の都で、影の大王軍を打ち破るため七部族が集った歴史あるヒラは、廃墟となった。ヒラの生き残りは、自分たちの故郷ごと忌まわしい記憶を忘れ去り、ヒラはネズミの街となった。

デルトラの書

 先も書いたように、ウィシックが刷った『デルトラの書』は、大半が破棄されたものの、ごく数冊が残されている。影の大王も少なくとも一冊は保有していると考えられるが、そのほかのうちの一冊は、リーフ国王陛下が少年時代に父から受け継ぎ、デルの鍛冶場で読み込んでいた。このリーフ国王陛下の『デルトラの書』は、もともとデル城王立図書室に秘蔵されていたものである。

 『デルトラ王国探検記』の終盤では、ウィシックの意見を支持したドランが、図書室のかたすみに『デルトラの書』を隠したことをほのめかしている。

 ただし、ドランがたくみに隠しただけで、何百年もそのまま王立図書室に放置されていたのでもないだろう。歴代の図書室員にも、ひそかに『デルトラの書』を読んで価値を理解した者がおり、見せてはいけない者の目に触れないよう守ってきたと考えられる。この約250年後に、図書室員をつとめていたジョセフもまた、城を去るときに『デルトラの書』を図書室に残してきた。いつの日か、国王か、国王に注進できる立場の者の目に触れることを、せめてもの希望としたのである。

 最後には、つながれた望みが天に届いたのか、エンドン王の家臣兼遊び相手のジャードが『デルトラの書』に気づき、その意図するところを正確に読みとった。ジャードがその後なにを成しとげ、また成しとげられなかったかは、デルトラの歴史に織り込まれている。 

夢見のオパールの予言

 アディンの先祖で、予知夢の力を持っていた女性、夢見のオパールを覚えておられるだろうか。オパールが残した予言は、影の大王の侵略と、救世主アディンがベルトを作り出すことだったが、その中身にはまだつづきがあった。この2つは成就していたが、ヒラにまつわる不吉な3つめの予言は、ずっと残されたままだった。

 そして長いときを経て、オパールが見た夢は、またしても現実のものとなった。ヒラの街には、大いなる邪悪が住みついていたのだ。

 豪華で芸術的な都で、豊かに暮らしていただけのヒラの民が、なぜこのような憂き目に合わなければならなかったのだろうか。

 ヒラの歴史をひもといた人間として私見を述べるならば、ヒラの民は、見てくれを飾ることや欲を満たす行為に、必要以上にこだわりすぎていたように見受けられる。ドランや、平原の田舎に住んでいた者たちに言わせると、ヒラの市民はお高くとまっており、田舎の民を見下すことになんの疑問も持っていないと感じさせたという。

 なにも、豪勢で気位の高いふるまいが良くないと言いたいのではない。ただ、よくばりで見栄に重きをおく人びとは、影の手にとってはつけこみやすかっただろう、ということだ。

 影の大王は、アディンと戦い敗北したことを終わりにせず、因縁の地をいつかほろぼすことを固く心に決めていたことだろう。また影の大王の性格からすると、デルトラの戦いから数百年がたちさらに二度目の侵略・敗走を経た今でも、間違いなくそのうらみを忘れてはいないだろう。

 ドランとウィシックがたどった末路や、このあとわが国を待ち受ける運命を思えば、胸がはりさける思いになる。だがしかしこの時代は、数百年のデルトラ王国の歴史でもっとも華やかりしころでもあり、彼らの遺した絵や書物を見ても、みなが生き生きと繁栄を謳歌していたようにも見える。主席顧問官を通じ、影の大王が国王への影響力を深めるまで数十年間だけおとずれた、いっときの夢のようにも思える。

デルトラ王国中世を描いた書籍(出典)

  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 1 沈黙の森」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 6 魔物の洞窟」、岩崎書店、2002年
  • エミリー・ロッダ著、岡田好惠訳、「デルトラ・クエスト 8 帰還」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ・クエスト モンスターブック」、岩崎書店、2003年
  • エミリー・ロッダ著、上原梓訳、「デルトラ・クエストⅢ 1 竜の巣」、岩崎書店、2004年
  • エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラの伝説」、岩崎書店、2006年
  • エミリー・ロッダ著、神戸万知訳、「デルトラ王国探検記」、岩崎書店、2009年