エミリー・ロッダ(Emily Rodda)さん プロフィール

エミリー・ロッダ(Emily Rodda)

 1948年4月2日、オーストラリア・シドニー生まれの作家。児童書を中心に、ファンタジー・YA・絵本など、100冊以上発表している。

 1984年のデビュー作「とくべつなお気に入り」から2019年の「彼の名はウォルター」まで、オーストラリア最優秀児童図書賞をこれまでで計6回受賞。

 本名のジェニファー・ロウ名義でも大人向けのミステリー小説を執筆している。

人物

作家デビューまで

 1948年4月2日、オーストラリア・シドニー郊外の ノース・ショア(North Shore)で生まれる。

 ロッダは、子どものころから読むことが大好きで、さまざまな神話やおとぎ話、フェアリーテイルが載ったハードカバーの本が幼いころの愛読書。書くことも大好きで、小説や劇の脚本を書いては『想像力がある』『文章が上手』と、その文章力は教師や大人からも折り紙つき。将来の夢は、もちろん作家だった。

 ところが、成長して古今東西の名著にふれるにつれ、書くことへの自信を失ってしまった。高校生になるころには、「自分が作家になるなんて、弟が宇宙飛行士になると言っているのと同じ」と考えるようになり、書く趣味をやめてしまう。

 1973年、シドニー大学の大学院にて、英文学の修士号を取得し卒業する。作家になることはあきらめたが、本にかかわる仕事をしようと、出版社で編集の職に就くことにする。

 ロッダに転機が訪れたのは、オーストラリアの老舗出版社兼書店チェーン Angus & Robertson で働いていた1984年のこと。“Down Under”などのヒット曲で知られる「Men at Work」が、オーストラリアのロックバンドとして初めて、全米チャートを席巻していた時代である。

 30代のロッダは結婚し、子どもを育てながら仕事をつづけ、編集者としていくつもの本を手がけていた。そんなあるとき、7歳の長女ケイトに、寝つく前のお話をせがまれ、物語を作って語り聞かせるようになった。すると、自分で読んでみても、それはなかなか良い出来のように感じられた。

 そこでロッダは、勤務先の Angus & Robertson に原稿を送った。しかし、会社の上司や同僚には正体を知られたくなかったし、正直な意見がほしかった。そのときペンネームにしたのが、祖母と曾祖母の名前『エミリー・ロッダ』だった。誕生した本「とくべつなお気に入り(Something Special)」は、デビュー作でありながら、オーストラリアでその年もっとも優れた児童書に贈られる、オーストラリア最優秀児童図書賞を受賞する。

 謎の新人作家の正体ははじめ、彼女の上司とロッダだけの秘密だった。しかし、受賞に興奮した上司が、周囲に真実を明かしてしまい、“エミリー・ロッダ”の素性は広く知られることとなった。

作家として

 1984年の作家デビューから1994年までの10年間は、出版社の仕事をつづけながら、兼業で作家活動を行った。ロッダには、1人の娘と、3人の息子がいる。特に初期の作品には、わが子たちの姿を念頭に置いて書かれたものがいくつかあるように、彼女の書く物語は身の回りの人やもの、出来事からアイデアが生まれているものも多い。

 彼女の3作目「ひみつのメリーゴーランド」では、弟が生まれることになり、環境の変化に揺れる女の子の気持ちが描かれている。当時のロウ家では、男の子が生まれることのなり、手ぜまな家から引っ越す予定だった。10歳になった長女のケイトは、大きな変化にとまどっていて、母娘が不安に向き合うなかでつづられたのがこの物語だった。

 そして日本でも、女の子は大人が何も言わなくても本を読むが、男の子はなかなかそうはいかない、とよく言われる。ロッダの子どもたちも、長女は生来の本好きだったが、息子たちはテレビゲームばかりで、全く本に興味を示そうとしなかった。だが息子たちが遊ぶゲームを見ていると、3つの願い事、お城からお姫様を救う話、不思議なものを買うお店など、伝統的なおとぎ話の要素がふくまれていることに気づいた。

 当時のオーストラリアの児童書には、どちらかというと社会派作品が多く、ファンタジーは主流ではなかった。しかし古典的な神話やファンタジーの要素と、テレビゲームのような謎解きを取り入れた物語ならば、ゲームが好きな子どもも本に手を伸ばすのではないかと考えて作ったのが、1993年のハイファンタジー「ローワンと魔法の地図」である。

 1990年代のオーストラリアは、1970年代にはじまった多文化政策(白豪主義からの転換)により、白人の国民だけでなく、南欧系やアジア系の移民も入りまじる社会に変化しつつあった。自然の厳しい島で、いくつもの民族が交わりあう「ローワン」シリーズは、多民族・多文化国家のオーストラリアで人気シリーズとなり、小学校の英語の教科書や授業にも採用されている。

 作家デビュー後も出版コンサルタントや、女性週刊誌『Australian Woman’s Weekly』などの仕事をつづけていたロッダだったが、「ローワン」発表翌年の1994年から専業作家に転身する。1994年から2000年代前半は、ロッダにとってもっとも多作な時代で、「ティーン・パワーをよろしく」「フェアリーレルム」などの長編シリーズを次々と執筆している。

 専業作家への転身に先がけ、1989年には、本名のジェニファー・ロウ名義で大人向けミステリーの「Verity Birdwood」シリーズを発表した。シリーズ1巻「Grim Pickings」は1990年に「不吉な休暇」として翻訳され、ジェニファー・ロウ名義ではあるものの日本にも上陸。このシリーズも好評により映像化され、それからたびたびミステリー作品も書いている。ロッダが読み手として好きだったジャンルも、殺人もののミステリーである。だが、「自分に才能があるならば、子どもたちのために使いたい」ため、主に児童書の執筆に力を注いでいる。

 2000年に刊行された「デルトラ・クエスト」シリーズは、世界35か国で翻訳出版され、ロッダの国際的な知名度をさらに高めた。児童向けファンタジーでありながら、子どもから大人までが楽しめる魅力を持ち、かつてのロッダの子どもたちのように、本を手に取らなかった子どもたちにも「デルトラ・クエスト」は歓迎された。さらに2005年からは、海を渡った日本でまんが・アニメ・ゲームなどにメディアミックス化された。その後アニメ・まんがの「デルトラクエスト」は英語訳され、日本のポップカルチャーの先がけとして、本国オーストラリアやアメリカに逆輸出されている。

 2019年には、「彼の名はウォルター(His Name Was Walter,2018)」で、オーストラリア首相文学賞と、24年ぶり6度目のオーストラリア最優秀児童図書賞を受賞。また、長年のオーストラリア児童文学への貢献により、西オーストラリア大学名誉博士号を授与され、オーストラリア勲章(AO)にも任ぜられる。

 現在は、夫のライアンや、ラブラドールの飼い犬Sidyとともに、シドニー近郊の世界遺産ブルーマウンテンズのある街、カトゥーンバ(Katoomna)在住。ブルーマウンテンズの深い森(ブッシュ)のなかで暮らし、生き物の気配を感じられる自然を散策することが、物語のインスピレーションを生んでいる。そして子どもたちのために書きはじめた物語も、今では4人の孫たちのために書きつづけられている。

年表

1984年「とくべつなお気に入り(原題:Something Special)」で作家デビュー
1985年「とくべつなお気に入り」でオーストラリア児童図書評議会(CBCA)最優秀児童図書賞受賞
1986年2作目「ふしぎの国のレイチェル(原題:Pigs Might Fly)」で2度目のCBCA最優秀児童図書賞受賞
1987年3作目「ひみつのメリーゴーランド」で3度目のCBCA最優秀児童図書賞を受賞
1990「テレビのむこうの謎の国」で4度目のCBCA最優秀児童図書賞を受賞
1994年「ローワンと黄金の谷の謎」で5度目のCBCA最優秀児童図書賞を受賞
1994年編集者の仕事をやめ、専業作家に。
1995年ドロムキーンメダルを受賞
2000年「デルトラ・クエスト」シリーズでオーリアリス賞、西オーストラリア図書賞を受賞
2019年「彼の名はウォルター」で6度目のCBCA最優秀児童図書賞およびオーストラリア首相受賞
2019年西オーストラリア大学から名誉博士号を授与
2019年オーストラリア勲章(AO)を受賞

主な受賞歴

オーストラリア最優秀児童図書賞

  • 「とくべつなお気に入り(Something Special)」1984
  • 「不思議の国のレイチェル(Pigs Might Fly)」1985
  • 「秘密のメリーゴーランド」1988
  • 「テレビのむこうの謎の国(Finders Keepers)」1990
  • 「ローワンと魔法の地図(Rowan of Rin)」1993
  • 「彼の名はウォルター(His Name Was Walter)」2019

オーストラリア優秀児童図書賞

作成中。。。

オーストラリア首相文学賞

  • 「彼の名はウォルター(His Name Was Walter)」2019

オーリアリス賞

ピーター・マクナマラ賞

  • 「デルトラ・クエスト(Deltora Quest)」2000

西オーストラリア文学賞

  • 「デルトラ・クエスト(Deltora Quest)」2000