児童向けのスパイ小説が好きなのですが、シリーズ中で翻訳が打ち切りになることが多くていつもさびしい思いをしています。ロバート・マカモア「チェラブ」シリーズも、そのひとつ。十代のころに途中まで読んでおり、成人してからブック・オフで再会したのがきっかけでシリーズの残りを再び読み始めましたが、10巻を最後に邦訳の予定はないようで残念。本国では、まだ関連シリーズが続いているようなので、ちょっと気になります。
「子どもが大人をスパイしているなんて夢にも思わない」
チェラブは、17歳以下の子どもたちで構成される英国のスパイ組織。チェラブの子どもたちら、世界中で輝かしい実績を残していますが、大人たちは、子どもがスパイしているなんてうたがいもしないし、うっかり話したところで、たわいもない作り話だと考える……そうした前提のもと、チェラブは成り立っており、またチェラブの子どもたちも、この前提を逆手にとって活躍できています。
スパイ小説ならではのCIA、MI6といったスパイ組織や、スパイっぽいギミックの登場も好きなんですが、児童向けスパイ小説だと『子どもにスパイをさせる』ために、あの手この手でひねり出される設定も好きで、なかでも「チェラブ」の理念は特に機知に富んでいます。
チェラブの部員は、孤児か身寄りの薄い子どもたち。チェラブの存在を知る人物による推薦だったり、チェラブ部員のミッション先にいた知能の高い子どもがスカウトされたりします。
チェラブの部員は、チェラブのメンバーとして働く代わりに、質の高い衣食住・教育と、学費や生涯に渡る年金を保証されます。あくまで作中においてはですが、イギリスの孤児院や公立学校は劣悪な環境が多いとされているため、チェラブにスカウトされた子どもたちは喜んで入部することがほとんどです。それはそれでどうなのってとこはありますが、のびのびと大人以上の能力を発揮する少年少女たちが、このシリーズの大きな魅力です。
知能の高い子どもに高いレベルの教育機会が与えられるため、チェラブの部員は、チェラブを卒業する年齢になると、当然のように英国トップレベルの学力を得られており、進学にも生活にも困らないエリート人生が待っているわけです。考えようによっては、親からの管理も、能力にあわない退屈な勉強もない、子どもたちの楽園です。
チェラブ〈Mission9〉クラッシュ 感想
※ネタバレあり
チェラブの子どもたちは、少年スパイとはいえ、本来は学生の年齢なので、学業もこなさねばなりません。四六時中、過酷なミッションに出ているわけにもいきません。その設定上、登場人物たちも、キャンパスでいったんお休みをする期間が定期的にあります。今回、主人公のジェームズは、イギリスの16歳に必ず課せられる職業体験をこなすため、学校と職場体験でのエピソードが中心でした。仕方ないですが、ちょっとその点は物足りなかったです。
これまでの巻を読んでいても、作者はジェームズの妹・ローレンが大好きなんだろうと思わされますが、9巻ではローレンが主人公かと思うほどの活躍ぶりでした。本国では、ローレンが主人公のスピンオフも出ているようです。
チェラブ各巻のストーリーは、筋の通ったスパイものらしく、テロや、宗教、環境問題、動物愛護など幅広いテーマに及びます。物語の舞台も、イギリスを中心に、オーストラリア、香港、ロシアなど国際的です。日本も登場します。登場人物が日本に行くことはいまのところないのですが、作中で描写される車はトヨタやNISSANなど日本車ばっかりです。たしか日本でのミッションに行ったチェラブの子もいる、とチラッとどっかに書かれてたようなそうでもないような。
9巻で印象に残ったのは、人種差別と暴力に関する態度です。
ここからネタバレになりますが、ローレンが参加したミッションでは、イスラム系移民の人物に疑念をかけられますが、結局想定されたほどの悪人ではありませんでした。ミッションを行うのも、どうにか犯人を探そうとするのも、正義のためです。しかし、どんな理由であろうと、出自や宗教・思想・信条などをもとに先入観や偏見を持つことは、差別にほかなりません。
この巻の原書は、イギリスで2008年に出版されています。イギリスは、のちの2020年にEUを離脱しますが、背景には移民問題で長年揺れてきた歴史がありました。ことの大小やディティールは違っても、似たようなことは、今でもイギリスのみならず世界中で起こっているはずです。まさに身近で、普遍的な話ではないかと思います。それとも、舞台はイギリスではありますが、飛行機事故が絡むストーリーでもあるので、911を念頭に置いていたのかな。
一方ジェームスは、気まずい関係の元カノ・ケリーと2人きりで、おまけに希望してもない場所で職場体験をやる羽目に。そこで、生真面目なケリーは、正義感が行き過ぎるあまり、一般人相手にトラブルを起こしてしまいます。
チェラブの子どもたちは、格闘技や護身術の訓練もみっちり受けており、並みの素人であればちょっと腕力が強い大人でも、こてんぱんにできちゃいます。ケリーは、一時的に興奮してその一般人と暴力沙汰になってしまいますが、キャンパスに戻ってから重い罰則を与えられます。ずっと優等生として品行方正に過ごしてきたケリーにも、処罰に例外はありません。力を持つ者は、その力をどう扱うかについて、より慎重であらねばならない、というわけですね。
10代の男の子が楽しめる本って、意外と少ないと思うのですが、「チェラブ」シリーズは男女関係のあれこれも含めて、少年向けを意識していると思います。ティーンエイジャーにおすすめしたいシリーズです。